am0647                   2009.01.31 text by カイ




 地平線まで続く道。濃い影を落とす街路樹。
 空と緑は陽の強さに色を失い、天に昇って間もない朝日が人気のないアスファルトを静かに焼いている。
 午前6時47分。休日の朝。
 この街に降り立ってまださほど時間は経っていないのに、なぜか街の形を……この気配を記憶している。――記憶している、と改めて認識する意識に違和感を感じて、軽く頭を振った。
 「自分」は生まれた時からこの街で暮らしていたはず。記憶するも何も、毎日の様に行き来している道の中程で立ち止まり、何故初めて見たようなつもりになっているのだろう。
 まるで軽い記憶喪失になったような感覚と自分が自分ではないような違和感に、少し汗ばんだ前髪をかきあげた。夕べはそんなに飲んだだろうかと記憶を巡らせるのだが、何処で誰と居たのかすらうまく思い出せない。そもそもアルコールを口にした感触すら曖昧で、ただ白く伸びるアスファルトを見つめた。

 街はゆっくりと、眠りから覚めようとしていた。

 夏、と呼ばれる季節ながらこの土地の気候のせいか湿度は高くなく、道を挟む闇からは涼やかな気配すら漂う。蝉の声はなく、鳥の囀りもない。ただ無機質に造られた道だけが、遠くどこまでも伸びている。
 まるで何処へ行くのも自由だと、示すかのように。
 この目の前に広がるカタチは、この世界に息づく人々によって生み出されたもの。異なるものへの拒絶はなく、とはいえ受諾もなく、ただひとつの「場」としてのみ、この道は存在している。その不思議。
 耳に痛いほどの静寂すら新たな一歩を妨げまいとしている様に感じて、もう一度軽く頭を振った。

「どうかしら、この朝の感触は」
 不意に響いた声に振り向くと、銀朱のルージュをひいた女が街路樹の影から浮かびあがってきた。
 今時珍しい漆黒の髪は短く、無造作に切りそろえられながら白い肌を縁取っている。その首元に絡まる細いシルバーのネックレスが、朝日を受けたアスファルトの様に鈍く輝いた。
 大きく胸元が開いた灰青のシャツ。柔らかな生地はウエスト辺りで黒く染まり、体のシルエットをなぞるような黒いパンツに足元は街路樹の影へと溶けていく。
 はっきりとした目鼻立ちだが冷たい印象は与えなかった。かといって有機的な感じもなく、精巧に作られた人形めいた雰囲気をまとっている。
 何の気配もないと思っていた中で突然現れたかのような人を前に、戸惑い、言葉を探しているうちに女は口角を上げた。
「言葉はわかるわよね?」
「僕は、この街に初めて来た……のかな?」
「そういうことになるかしら」
「どこから?」
「覚えていなくてもいいことだから忘れたのでしょう? 必要ならそのうち思い出すだろうし」
 そう囁いて女は隣に立ち、消失点へ続く道の向こうを見つめた。
「どお? この果てしなく続くように見える世界は」
「何処にでも行ける?」
「行こうと思えばね」
 囁く声が応えた。
「ここまで、と思った場所が貴方の世界の果て。ここはそういう所なの」
 ふふ……、と嬉しそうに微笑んで振り返る。
 その横顔をくっきりとした朝日が縁取っていった。
「どこかへ行きたい? それとも、まずこの街を見てみる?」
「僕は……」
 道の向こうへと視線を転じた。
「ここで目覚めたなら、今しばらくはこの街で暮らしてみたい」
 曖昧な記憶を辿り、呟く。
 何故だろう、何もかもが新しく感じるのは。――その理由から探してみたいとのと同時に、いつでもこの道の向こうへ行けるのなら、それは今でなくてもいい。
「そう、なら私の店に来なさい。そこの雑居ビルの五階。更にその上が事務所となっているから、寝泊りぐらいはできるでしょう」
「何の店なんだ?」
「何かしらねぇ……」
 悪戯っぽく笑って曖昧な言葉で答える。
「ここでしか手に入らない、古いものや新しいもの……お茶も出してるし、物じゃないものもある。単に話をしたいだけに訪れる人もいる」
「何でも屋か」
「何でもいいわよ」
「僕はそこで、何かを、買った……?」
「思い出せないならいいの。今ある記憶はサービスだと思って。せめて言葉ぐらいは知らなかったら話もできないでしょう?」

 空を仰いだ。
 眩しい朝日に色を失っていた世界が色づいてくる。
 午前6時47分。休日の朝が目を覚ます。

「何も知らないままこの世界を見てみて、どう?」
「何処へ行くのも自由だ」
「ふふ……」
 微笑んだ女が背を向け歩き出す。その後に続きながら、風の音、通りを行く車の気配や道行く人影を視界の隅に留め、訊ねる。
「貴女の名前は?」
「銀朱、でいいわよ」
 言われて初めて、最初に感じた色なのだと思い出した。

 ひとつの朝の物語。


                                          end
 original novel / HOME

妙に最初を意識した小話になってしまいましたよ。
しかも微妙に続き物っぽい終わり方(笑)

HPを新設した時、やっと載せることが出来た一枚目の写真です。
(サイトUPは2004年11月)
真っ直ぐの路みたいなサイトになれたらいいな……と思ったかどうか、今となっては定かではありませんが、後になって単にこの構図が好きなだけだと自覚しました(笑) まだカメラの扱いにも慣れていなくて、ほとんどオート撮影だった気がします。
2004.07.14 撮影 [ 札幌 ]  F/7.1 1/1500 秒