15のお題 金の魚 (きんのうお)    illustration & text by カイ




 モニターの上を走る記号。それをぼんやり眺めていると、まるで川となって流れる水のようだと思うことがある。
 むかしむかし、この星には雨が降っていた。
 多くは大地と呼ばれる柔らかな土の床に滲みこんで、それでも浸透しきれないものが川となって海へ流れたという。御伽噺だ。



「アキ、そっちはどうだ?」
「これであがり、だ」
 スピーカーの声で刹那の空想から舞い戻り、俺は最後のキーを打ち込む。
 本日も無事完了。
 マザーシステムに悪戯をするようなウィルスはなし。今夜もママは、ご機嫌にお過ごしいただけるだろう。
「OK、お疲れさん」
「あーあーあー、ほぉーんとに疲れたよ」
「一仕事終えた後はお楽しみか?」
「てめぇの考えてるようなコトなんかしないよ」
 鼻で笑う軽口を言い合って、俺はブラインドをオフにする。ざーっと入り込んできたのは金色の空。そっか、今は夕暮れ時なんだ。夕日のある夕時なんて久しぶりだ。
「ふふん、今日は最高の時間になりそうだぜ」
「贅沢者だよなぁ、お前はホント」
 仕事後、至福の時間の過ごし方を知っている相棒は、スピーカーの向こうで大げさなため息をついた。
 長い拘束時間に張り詰めた作業。俺達の街を守る責任重大な任務の暁には、ちょっとぐらいの贅沢はいいだろうに。もちろん、節度は守っているのだから、環境省にとやかく言われたこともない。いくら試験管の中で生まれた人工生命体だって、有機物でできているなら有機物なりの愉しみってのがあるのだから。
「HA-R312 もご一緒か?」
「んー……いや、あいつは今日、なんだか ―――」
 言いかけたその時、バスルームのドアが元気よく開いた。オートなのに元気よく、というのも変な話だが……あぁ、そうだ、モーターが焼け付いて直していなかったから、力任せで開けるしかなかったか。
 そして続くシャワーの音。
 あいつはいったい何をやっているんだ。
 と、思う部屋の向こうで声が上がった。
「アキ! アキ! 使ったからね!」
「あぁん? バスルームか? おい、ハル! 水は出したら止めろ! 環境省にどやされるぞ!」
「まだ足りないんだ! だから後でアキが止めておいて!」
 わけがわからん。
 使っているのはお前だろうに。
「ハル!」
「ごめんもう行く! 始まっちゃうんだ! アキ、優しくしてね!」
 それは知っている。
 いや、知ってるのは日暮れすぎ、正確には後2時間12分後に春の天文ショーがある事だ。本当は人の子供しか招待されないのだけれど、何がどうなったのかハル ――― ヒューマノイド HA-R312 はいたくご近所サンに好かれていて、子供達が文部省に直々掛け合ったというから驚きだ。
「わりぃ、ちょっと席はずすぜ」
「あぁ、どうぞ。その間俺はカフェインでも摂ってるよ」
 相変わらずな声がスピーカーから返ってきて、俺は部屋を出た。

 窓の明かりを受けて金色になった部屋。
 バスルームからは出しっぱなしの水の音。
 その二十歩手前の部屋の中央で、ばたばたと必要なチケットやらIDカードを探し回っているヒューマノイドを見ると、これが厳格な AI だけで構成されたものとは思えない。
 たしかに人の子供にすれば十歳やそこらの年恰好だ。男とも、女ともつかない容姿はハルがプロトタイプだからに他ならず、量産型はもう少し女の子らしいか男の子らしく作られている。
 もっとも、中身は大して変わらない。顔も薄手のラバーでコーティングしているから、無機物な印象はほとんどない。研究所から引き取る時、眼球と眉や放電毛髪は少しランクの上のものと交換したから、水晶体の透明度は今以てAランクだ。
 何より表情反応の蓄積は驚くほどで、先日見た 「人間の親から生まれたという子供」 は、もっと乏しい反応しかなかった。
「あーん、チケット!」
「いつもの引き出しの一番上!」
「それじゃ、忘れちゃいそうだから棚の上に置いたの!」
「空調の流れで飛ばされるだろうから、引き出しに入れた」
「えーっ !? あっ、あった!」
 星と懐古趣味的なロケットがデザインされたアクリルプレートを取り出し、ハルは歓声を上げた。この調子で天文ショーを見たらどうなることかと思うが、いんかせん、今夜の催しに保護者の同伴は許可されていない。
「ハル、髪ぼさぼさ」
「静電気がひどいんだもん」
「スプレーあっただろ」
「この間まちがってすてちゃった、あ……」
 インターフォンが鳴る。オープンキーで応えると同時に飛び込んできた声は、お迎えの子供達だ。俺は手に軽くオイルを取って、とりあえず見せ掛けだけでもハルの頭をごまかした。
「あーん、アキのオイルだと嗅覚反応が鈍くなるー」
「放電処理しとかないと、脳みそスパークするぞ!」
「脳みそじゃなくて AI だもーん」
 あー、もぉ、まったく。
「いってきまーす。お土産楽しみにしていてね!」
「隕石までひろってくるなよ!」
 ハルならやりかねない。
 ドアを開けた小さな背中は子供達の中に飛び込んで、そのまま転げる子犬のように駆けていた。まったく……これが台風と呼ばれる現象なのだろうか。

 とりあえずセントラルモニターでバスルームの水を止めてから、一旦仕事部屋に戻った。あまり席をはずしていては、相棒は際限なくカフェインを摂っていそうだと……思ったスピーカー越しの第一声は、豪快な笑い声だった。

「今の、HA-R312 か?」
「ハル以外誰だって言うんだよ」
「人間より人間らしいじゃないか、模倣能力の特化には目を見張るな」
「あいつのは模倣じゃないよ」
 そう言ってモニターの向こうの相棒は首をかしげたのだろう、返事がとまった。俺はこの場をごまかすように続ける。
「研究所から出て長いからな、それなりに学習したんだろ?」
「……その手の機能は積んでたか?」
「さぁ? プロトタイプはいろんなモン積んでそうだから、組み込んだ人間も忘れたようなモノが残ってるんじゃないのか。とにかく本日の作業終了。引継ぎヨロシク」
「そっちの方は、どたばた劇を聞かせてもらっている内に終わらせた。なぁ……アキ」
 まだ夕日が空を金色に染めているうちに、仕事後のお楽しみを……と思う俺に食い下がる。違法行為はしていないのだから戸惑う理由はないのだけれど、なんとなく、不吉な予感に俺はスピーカーを睨み返した。
「 HA-R312 の動力炉ってあとどのぐらいもつんだ?」
「……けっこう長く使ってきたから、後数年、だろ」
「新規動力炉の申請があるだろ」
「プロトタイプに許可が下りるとは思えないな」
「通常はな。けど HA-R312 の特異性をレポートすれば、開発省が動くだろう」
「で、百年後まで稼動させるか? あの姿で」
 どれほど豊かな表情をもって反応しても、そのボディは無機質な合金だ。一足飛びに大人のボディへと入れ替えることはできても、生き物が年輪を重ねるのとは違う。

 それでも……。

「考えとくよ」
「急ぐ問題じゃないしな、まぁ、今日のところはお疲れ」
 短い言葉を残してスピーカの音は切れた。






 アルコールを嗜む趣味があれば、一気に許容量まで摂取しただろうか。だが、残念ながら試験管の中で調整された俺の細胞に、アルコールを分解する能力はない。
 こんな時は ――― こんな時でも無くとも、前時代的な書物を持ち込んで湯に浸かるのがいいところ。しかも窓からの夕日を眺めながらならとあらば、これ以上に気分転換を図れるものは無い。  そう思い、いつものバスルームに向かったのだが。

「なんだ……こりゃ」
 魚がいる。
 それも夕日を浴びて金赤に輝く魚だ。
 白いバスタブの海の中に、金色の魚はゆったりと尾びれ背びれを動かしていた。一見しただけで品種はわからないが、なにかこう、華が咲いたような色姿で。
 魚は覗き込む俺の影に驚くでもなく、ゆったりと泳いでは水面に顔をあげ、そしてみた白い海底へと沈んでゆく。思い出したようにターンしては、ひらひらとセロファンのような胸鰭を震わせた。
 ハルの仕業か。
 あぁあ……取られた、俺の、お気に入りの場所。
 出て行けと言った所で川は無い。
 街の水溜りに放り投げるわけにもいかない。
 それよりも、こいつはいったいどこで見つけたんだ。持ち込んだはいいが、何故洗面台やコップじゃなくバスタブなんだ。俺が知らずに水ではなく湯を注していたならこいつは今頃 ―――。
「くそっ……」
 舌打ちしても、我関せずと金の魚は尾びれを揺らした。
 海を知らない魚……いや、川も雨のにおいすら知らない。金の魚は今、このバスタブが世界だ。
「まぁ、時にこんな日があってもいいか」

 椅子を持ち込み、バスタブの中ではなくその縁に足をかけて俺は深呼吸する。空はますます金色を増し、乳白色の部屋は窓の明かりに染まりあがっていた。
 ゆったりと広がる水面の紋に、俺は開きかけた書物を閉じて椅子の背もたれに寄りかかった。間もなく、億光年から変わらぬ星が輝きだすだろう。

 大地を知らない獣達。空を忘れた羽根ある者達。
 脳に酷似した AI を搭載するものは、いつかこの想いを知るのだろうか……。

 そういえば、確か空を泳ぐ星のうお座は、尾を紐で繋いだ二匹の魚を模っていた。
 現れた怪物から逃れるために川に逃げ込んだ時、離れ離れにならないようにと繋いだ紐。ひとつは美の女神と呼ばれるアフロディテで、もうひとつはエロスの化身。あれも親子だったのだと……。

 金に煌く魚は、弾く尾で光の輪を作った。


                                          end
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